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オロナミンCを飲み終わり、まだ底に残っているかもしれないと、卑しくも、ビンの口をかぷっと咥えて上を向き、ほんとにもう無いのかなぁと、そのまま、ビンを上下に振ってみて
ああ、そういうことなのかしら。
と思いました。
よって写真が苦手です。中学や高校の卒業アルバムには個人の写真が載りますが、クラスメイトの快活な笑顔、わざとキザっぽい笑顔、はにかんだ笑顔、そして、私は笑っていません。皺です。本人が必死で作ろうとしたのであろう、笑顔の残骸が、ただ目尻から頬へと流れただけなのです。
スマイルシャッターという機能をソニーが開発したそうです。機械が笑顔を検出し、自動で写真を撮影するそうです。果たして機械は、私の皺を、笑顔と認識するのでしょうか。卒業アルバムの個人写真を撮影した、懐かしい運動場へと続くあの細い通路がフラッシュバック、顔いっぱいに皺を刻んだ私を真正面から見据えたまま、まだ足りないのですか、まだ皺が足りないとおっしゃるのですか、無言で佇むスマイルシャッター。
そんな想像に、背筋が寒くなります。
押切もえの語感が好きです。
織田信長の愛刀、圧切(へしきり)長谷部の語感に近いと思います。
たまに「押切もえ!」と言います。
押し切ってやった、くらいの気持ちで言います。
「食べ切もえ!」「読切もえ!」「やり切もえ!」など、応用ができます。
そんな押切もえの語感が、好きです。
「書切もえ!」
『ルパン三世のテーマ』の冒頭部、どうしたって勘違いを引き起こす箇所があるわけですが(私は「ルパンルパーン」と言っているに違いないと固く信じて疑いませんでした)、あの狂気さえ感じさせる女性の声が「ルパン the third」と言っていること、そしてthe thirdが三世を意味していることを中学の英語の先生に教わったときは、目から鱗、袖に涙の感激だったと記憶しております。
そして私は、「官能小説」を長いこと「観音小説」だと思っていたのでありました。
幼くウブだった私にとって「観音小説」はまさに、菩薩の荘厳さを以て絶対的エロを啓示している、経典(きょうてん)に他なりませんでした。私はエロチシズムに、畏敬の念さえ抱いていたのです。
「夜のピクニック」という本を読みました。
高校生活を締めくくる行事は、修学旅行とはとても呼べない、ただひたすらに友と歩き続ける24時間。その歩行祭の中で、高校生が高校生なりに他者との関係性や恋愛などについてあれこれ考える、といった内容でした。途中間延びしたのは歩行祭の過酷さの表現だろうと目を瞑れば、クライマックスへと少しずつ歩み行く主人公の心理描写が非常にキメ細やかで、素晴らしい作品だったと思います。
ただ、「夜のピクニック」を一文字変えると、「夜のテクニック」になりますね。
この変換を脳内で行った後、ひとしきり苦笑し、そして、
ふっと泣きたくなりました。