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ちょっとエロい言葉シリーズ⑪
「びっくりまんチョコ」
「びっくりまんチョコ」
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この手記は世界のナベアツ公に敬意を表するものです。彼は1から40まで数え上げる間に、3の倍数と3のつく数字の時だけアホになりますが、人間、えてして賢くはなるものの、アホにはかえってなり得ぬものです。しかし、彼は何の躊躇もなく平然とアホになります。私は彼がアホになっているときむしろ彼に「知性」を感じるのですが、そういう意味ではやはり彼はアホになっていないのか、むしろ私がアホなのか、もう全部どうでもよくなって、アホみたいに笑ってしまいます。R-1グランプリ王者の栄冠は彼に輝くべきだったと思います。しかし、審査員はやはり審査員としての責務を果たさねばならず、アホになりきることができなかったのでしょう。アホはえてして評価されぬものです。アホはアホとしてあるためにアホでなく、しかしアホでないアホからアホと罵られ、それでもアホからアホと称えられるアホなのです。私も早く世界のアホになりたいです。
私は誉められて伸びる子ではありません。誉められれば素直に喜ぶ性格ですが、その分調子に乗って失敗する場合が、ほとんどです。かといって、私は叱られて伸びる子でもないようです。叱られて不貞腐れることはなくとも、ただ、しょんぼりとして、益々惨めな思いをするだけです。どうも自分は、人から物を教わって伸びる子ではないようです。いやむしろ、芽を出さぬまま、種のまま生涯を終える子と言う方が、適当かもしれません。
性染色体の型や性自認についての論議はいったん脇に置いて、バイセクシャルというのは、人間愛の極致に位置づけられる崇高な態度ではなかろうかと思われます。「愛する」の定義にもよりますが、具体的に考えれば、男性が女性を、女性が男性を愛する義務は必ずしも無いはずです。例えば、愛の究極の形をセックスとして、しかし、生物が異性に惹かれるのは子孫を残すという明確な意思に基づくものであって、性行為がコミュニケーションのひとつに数えられる昨今、つまりそこに性差は必要ないと言えるのです。
境界線が、ひどく曖昧になっています。紅白歌合戦に桃組が誕生したように(彼(女)らがバイセクシャルだという確信はないですが)、このネオ・ジェンダーフリーとでも言うべき思想は、確実に日本を包み始めていると思います。そして、私が最も人間愛の極致に近いと思うのが、他でもないIkkoさんです。もちろん、彼(女)がバイセクシャルだという確証はありませんが、漂う雰囲気や話の内容から、Ikkoさんはきっと男女等しく愛せる、そして、愛していると感じるのです。"イデア"を垣間見ていると、そう言っても過言ではないほどです。
いやなにも、Ikkoさんは金○マがikkoなんだ、とまでは言いますまい。
この結び、どんだけー。
チョコは嫌いです。