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掃除機の無慈悲さは銃のそれに似ています。刀剣と違って、銃には人が死に行く感覚が残らないように、掃除機は、ごみを薄暗闇に吸い込んで包んでそのまま、まるごとポイです。我々が生み出したはずのごみに対して、まるで執着の無い態度。話の裾野を広げれば、無関心こそ、人間として最も非情な態度ではないでしょうか。
「コロコロは、慈悲と憐憫の道具です。」
掃除機とは全く異なり、集めて張り付いたごみに触れ、眺めながらシートを剥がす必要があります、何度も。その手は菩薩の手、その目には憐憫の涙です。そして私は、下宿の掃除をするときにはいつもコロコロを使っています。話の裾野を無理に広げれば、自分は毛の国の王子様ではないかと思われます。
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