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キャスターが読み上げる凶悪犯についてのニュースの中で、「元死刑囚」という単語が出てくるたびに、ぞくりとします。元死刑囚というのはもちろん、再審で無罪になった人だけを指すのではありません。…。元死刑囚と言うなら、今は何なのでしょう。あのキャスター独特の無感動な調子で「○○元死刑囚は…」と言われたら、余計に恐ろしくなります。日本では、死刑が容認されています。
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コペルニクスの偶数番目の文字だけを順に読んでいっていただきたい。―そうだね、ペニスだね。
今度は奇数番目の文字だけを順に読んでいっていただきたい。―そうだね、コルクだね。
コルクにペニスを挟んでコペルニクス。これぞ、コペルニクス的発想の転回だと思います。
今度は奇数番目の文字だけを順に読んでいっていただきたい。―そうだね、コルクだね。
コルクにペニスを挟んでコペルニクス。これぞ、コペルニクス的発想の転回だと思います。
日本語の問題。
唐突だがおっぱいの大きいことを巨乳と表現する。巨乳以上に大きくなってしまってもうなんだかいろんなものが臨界状態のおっぱいを爆乳と呼ぶ。それ以上の規模、もうなんだかいろんなものが収まりきらなくなって、人智を超えた感さえ否めない大きさにまで育ってしまったおっぱいは世に魔乳と呼ばれるらしい。
逆に小ぶりなおっぱいを微乳と呼ぶ。こちらはまだ美乳と聞き間違えられる程度の穏やかな小ささだが、体躯とのバランスを欠くほど小さいおっぱいは貧乳と格付けされる。それ以上の小ささ、最早あるんだかないんだかわからないおっぱいを無乳と呼ぶ。まな板と揶揄されることも多い。
問題はこの無乳(むにゅう)。本来はおっぱいが無いみたいに小さいことを表す言葉だというのに、その発音たるや、なんだか豊穣なものを想像せずにはいられない。むにゅう。少し手心を加えて、むにゅぅ。日本語の落とし穴である。
唐突だがおっぱいの大きいことを巨乳と表現する。巨乳以上に大きくなってしまってもうなんだかいろんなものが臨界状態のおっぱいを爆乳と呼ぶ。それ以上の規模、もうなんだかいろんなものが収まりきらなくなって、人智を超えた感さえ否めない大きさにまで育ってしまったおっぱいは世に魔乳と呼ばれるらしい。
逆に小ぶりなおっぱいを微乳と呼ぶ。こちらはまだ美乳と聞き間違えられる程度の穏やかな小ささだが、体躯とのバランスを欠くほど小さいおっぱいは貧乳と格付けされる。それ以上の小ささ、最早あるんだかないんだかわからないおっぱいを無乳と呼ぶ。まな板と揶揄されることも多い。
問題はこの無乳(むにゅう)。本来はおっぱいが無いみたいに小さいことを表す言葉だというのに、その発音たるや、なんだか豊穣なものを想像せずにはいられない。むにゅう。少し手心を加えて、むにゅぅ。日本語の落とし穴である。
http://www.e-nls.com/pict2-15333-5913(※一応、アダルト注意)
我ら人類の機械文明は、遂に我々が自慰行為において手を弄さずに事を済ませ得る段階へと到達しました。自動化の功罪、例えば風呂をスイッチひとつで沸かしてくれる装置は確かに便利なものですが、風呂の水を止め忘れてはいけないという強迫観念が養う長期的な集中力、マルチタスク対応力みたいなものを我ら人類から少なからず奪っていったと思うのです。
ハウアバウト、全自動自慰装置?
①自慰行為が社会的に忌み避けるべき行為とされているのは慮外のこととして、生物学的に見たとしても忌み避けるべき行為に当たることは明白です。相手もいないのに貴重なタンパク質を射出(女性に関してはこれまた難儀な課題がわんさと残っているのでここはひとまず男性視点で)することは無駄、害あって益なしというわけです。発情期をコントロールする義務から解放されたことをいいことに、ホモサピエンスはやりたい放題。しかし!敢えて、敢えてそこに目を瞑るとして、ただ、それでも我々はそう手を弄してきた。すなわち労してきた。この疲労感、ベタつき、これら負の感覚が、ともすれば忘れてしまいがちな生物としての不遜と我々を、辛うじて結び付けていたのではあるまいか。Schopenhauer曰く、「性欲は人間に繁殖を謀らせる餌である」。この全自動自慰装置で以って我々は、その餌だけを巧みに攫う性欲至上主義者へと変貌しようとしている。
②握力が弱くなんじゃね?
我ら人類の機械文明は、遂に我々が自慰行為において手を弄さずに事を済ませ得る段階へと到達しました。自動化の功罪、例えば風呂をスイッチひとつで沸かしてくれる装置は確かに便利なものですが、風呂の水を止め忘れてはいけないという強迫観念が養う長期的な集中力、マルチタスク対応力みたいなものを我ら人類から少なからず奪っていったと思うのです。
ハウアバウト、全自動自慰装置?
①自慰行為が社会的に忌み避けるべき行為とされているのは慮外のこととして、生物学的に見たとしても忌み避けるべき行為に当たることは明白です。相手もいないのに貴重なタンパク質を射出(女性に関してはこれまた難儀な課題がわんさと残っているのでここはひとまず男性視点で)することは無駄、害あって益なしというわけです。発情期をコントロールする義務から解放されたことをいいことに、ホモサピエンスはやりたい放題。しかし!敢えて、敢えてそこに目を瞑るとして、ただ、それでも我々はそう手を弄してきた。すなわち労してきた。この疲労感、ベタつき、これら負の感覚が、ともすれば忘れてしまいがちな生物としての不遜と我々を、辛うじて結び付けていたのではあるまいか。Schopenhauer曰く、「性欲は人間に繁殖を謀らせる餌である」。この全自動自慰装置で以って我々は、その餌だけを巧みに攫う性欲至上主義者へと変貌しようとしている。
②握力が弱くなんじゃね?
階段と階段の間、階段を螺旋に見立てた時の中心線の部分が空いているとき。ついつい覗いてみたくなります。そして、その空白部分を落ちていく自分を想像して、プルプルしながら階段を降りる。私だけの、自虐遊戯。